今日見かけた救急車、あれはホンモノですか?(仮)

ハッとしたことを何事も無かったかのように伝えるブログ

「とーぶー」と「ヤマケン先生」

今日は、僕の人生において
最も影響した人物である
幼なじみ「とーぶー」と
中学時代の恩師「ヤマケン先生」の話です。

小学生の頃、
僕のサイズはというと
158cm、85kg。
いわゆる巨漢児でした。

ズボンはマタズレでうちもも付近が破れる。
子供服のサイズが合わない。
着る服といえば、
センスの全くない母親が
買ってきたペイズリー柄の何か。

巨漢児あるあるです。

風体はまるで
お金持ちのボンボンです。

そういえば、父親のお古の
セカンドバッグを持って
ひらかたパークやゲーセンに
行ったりしていました。

太っていたので、運動はイマイチ。
勉強も、中の下。

優しさだけが取り柄の
何の変哲もない巨漢小学生。
それが僕でした。

「世界で一番優しい」と
3回くらい言われたことが
唯一の取り柄だったかもしれません。

そんな心優しき巨漢児も
中学生となり、近所の友達の
「とーぶー」に誘われ、
サッカー部に入部。

想像の通り、巨漢だから動けず
行くのがイヤでしょっちゅう
ずる休みしてました。

ちびっこくて気の強い
意地悪な奴がいて
気の優しい僕は、いいように使われ
それもイヤでした。

朝が弱いのも致命的でしたね。

7時30分からの朝練の時間に起きれず、
嘘ついてずる休み。

そんなとき、
「とーぶー」が迎えに来てくれるように。

彼がいなければ、
僕はサッカーを続けてなかったでしょう。
違う人生を歩んでいたはずです。

学校までは1.5km。
毎日とーぶーとダッシュで登校してました。

なぜなら、とーぶーが迎えに来てくれた時点で
起床するから。


とーぶーも一緒に遅刻し、
罰として二人で学校周りを走らされるという
酷い日々を送っていました。

とーぶーは僕の寝坊のせいで
走らされるのですから
災難以外のなにものでもありません。
ほんとに申し訳なくて
毎日辞めようと思っていました。

一番きつかったのは、
動けない上に下手くそだったことです。
ただでさえ太っていて走れないのに、
僕以外は、みんな小学生の頃から
サッカーをしているので上手なのです。

そんな僕でしたが、
手をさしのべてくれたのは
顧問のヤマケン先生でした。

先生は、
僕がどんなプレーをしても面白いと
褒めてくれるのです。

例えば、相手ゴール前で上に
思いっきりボールを蹴り上げたときは
「面白い!その発想があったか!」と
手を叩いて大声で賞賛してくれました。

僕自身、意味がわからなかったのですから
周りの人達は、もっと分からなかったでしょう。

それでも、周りが何と言おうと
褒めてくれるのです。

そのうち、心に変化が起きました。

「ヤマケン先生の期待に応えなければ」
そんな使命感が生まれたのです。

時を同じくして、身体にも変化が。
寝坊でダッシュを続けているうちに
痩せたのです。

寝坊は相変わらず。
でも、遅刻しないようになりました。

なぜなら、とーぶーが起こしてくれてから
走って間に合うようになったのです。

ただ、一つ残念なことが。

なんと、とーぶーだけが遅刻するように
なってしまったのです。

僕が先に到着し、ギリギリセーフ。
とーぶーは遅刻し、学校周りを走ることに。

本当に申し訳ないことをしました。
とーぶー、ごめん 。

そして自他ともに
僕の変化を認める出来事がありました。

それは、中1の冬のこと。

定例行事の校内マラソン大会で
男子は8km走ります。

中1から中3まで250人ほどが
一斉にスタート。

走る前、ヤマケン先生から
「お前、いけるぞ」と激励されました。

気分は師匠の敵を討つ
ジャッキー・チェンです。


結果は、表彰まであと一人の
11位でした。

あのペイズリー柄の巨漢児が
11位です。
生まれてから、一番驚いた出来事でした。

それがきっかけとなり、
YDK(やればできる子)に
気付いたのです。

しかし、
とーぶーとヤマケンがいなければ、
僕は今頃、何をしていたのかと考えると
ゾッとします。

久しぶりに会いたいなあ。
来月あたり、捜索してみましょう。